今日7月6日は、ここ岡山県も、西日本豪雨災害の被害に遭った日です。
正確には、4日頃から雨が降り続き、ジワジワと河川が危険な状態になっていたところ、6日の深夜、一気に河川が崩壊した、そういった状況でした。
確か1年前の昨日、高速道路が封鎖され始めていて、商品の入荷状況に影響があるか、会社で心配していた、そう記憶しています。
その時には、翌朝、まさかあんなことになっているとは、きっとほとんどの人が想像していなかったと思います。
なぜなら。ここが岡山だから。
晴れの国、岡山と災害
岡山県は、災害の比較的少ない県です。
住んでいると実感はないですが、雨もあまり降りません。年間降水量は長野県についで下から2番目、つまり、降水量が少ない県No.2です。
快晴日ランクは10位、雨が降らない日数は5位。
公共交通機関も、都市部ほど発達していないので、大人になるとほぼ車。子供の頃から送迎は当たり前。バス、電車が通っていてもそんな感じです。
だから傘を持たない!と思ったら、意外にも傘、持ってました(笑)
そうですね、私も使わないけど、車に2本積んでますね。旅行用にも1本持っています。
あれ?ってことは?堅実な県民性なの??
ん〜。ま。いっか(笑)それくらい、雨が降りません。
安全神話、岡山県というところ
昨年の水害被害で、一躍有名になった岡山県(正確には倉敷市真備町の災害が大きく報道された)には、安全神話がありました。
まぁ実際、台風はほぼ直撃しないし、警報なんてほとんど出ないし、小学生も大雨洪水警報ではお休みにならない。暴風はさすがにお休みですけど。
近隣の県で警報が出ていても、岡山県だけは注意報、なんてこと、よくあります。
中国山地と四国山地に挟まれて、しかも内海のど真ん中に位置している、真下を走る活断層もない。
こんなサイトを見つけました。思いっきり安全神話での売り込みですね。
まぁ。住んでいても同様の感覚なのは間違いないです。
私自身、災害の記憶はほとんどありません。阪神淡路大震災を含めて5回くらいかな〜?
そんなこんなで、県民性として、危機意識が低い気がします。
西日本豪雨災害 平成30年7月に起こった被害
そんな、災害の少ない岡山県で起こった、昨年の豪雨災害。
なぜ、あそこまで大きな被害となったのでしょうか?何が起こっていたのでしょう?
岡山に住む者として、記憶を辿ってみたいと思います。
倉敷市真備町 高梁川水系、小田川の氾濫
この災害で岡山県、といえば全国的に大ニュースにもなった、甚大な被害を受けた倉敷市真備町
真備町が受けた被害の大きさは、もはや私が説明するまでもなく、日本中の皆様の記憶にも新しいと思います。
この、真備町というところは、一般的にイメージされる倉敷からは少し北に位置しており、吉備、総社にも近く、山合いの集落で農業も盛ん、穏やかで風光明媚な良いところです。
そして今回氾濫した小田川、こちらは高梁川水系の一級河川。川幅もあり、普段は木々が生い茂っている、大雨が降っても全然大丈夫そうに見える川です。
しかし、この小田川、平成10年を最後に氾濫していませんでしたが、それ以前、昭和の頃には数年おきに、何度か氾濫していたようで、河川工事の計画もあるにはあったようでした。
ただ、遅すぎた。
災害が20年も待っていてくれていたのに、この国は・・・お金の使い方が間違っているような気がしますね。
水害から1年経ちましたが、まだまだ、まだまだ復興途中です。空き家や、全壊のままの家屋もそのまま存在しています。
この町を襲った災害、それにまつわる問題点など、こちらの記事をご参照ください。
真備町以外 岡山県内で起こった被害
この大災害、あまり報道がされていないところでも、各所で河川の氾濫や土砂崩れ、山崩れなどにより、高速道路、国道、県道の封鎖、JRの長期間運転見合わせなど、様々な被害がありました。
【水害直後の道路の通行止め】
小田川以外でも、高梁川上流の地域、吉井川支流の砂川、旭川の放水路の百間川など、県内各所で、決壊が見られ、ほぼ、全市町村で被害が発生していたと思います。
また、こちらは総社市になるのですが、真備町と隣接した、高梁川上流の地区にあったアルミ工場が浸水により爆発、近隣の住居に被害がありました。幸い避難をしていて、工場の方、ご近所の方の御命や怪我はなかったようでしたが、住居には大きな被害があったようです。
その爆発たるや、我が家の窓ガラスが揺れるほど!!爆発音と窓ガラスが鳴るほどの振動!このアルミ工場の爆発は、7月5日の深夜12時少し前、あの大雨の中でした。
『地震!?爆破!?』何が起こったのかサッパリわからず、降り続く雨と継続的に鳴るサイレン、地域の消防団が、町内を車で避難を呼びかけている最中の出来事。
これは本当に怖かったです。まさに近くの川も増水していたし、これで大地震だったら『終わったな』と腹をくくるしかないな。と。
でね、この、我が家の窓まで揺らしたこの爆発現場。なんと、実に直線距離で約20Km離れています。車でも1時間近くかかる場所です。
そしてこの爆破音は、もっと遠く、直線距離40Kmくらいまでは十分届いていたようです・・・
自然の脅威 先人の知恵と備え
私は、岡山市内を流れる百間川、という河川のすぐそばに住んでおります。直線距離で・・・30mくらい??
あの日、あと1日雨が続いていたら、この地域も真備町のように、全面的に水没していたでしょう。
いや。岡山市中心地も全滅だったかもしれない。
通常時との比較
この百間川という河川は、岡山県三大河川のひとつ、岡山城のすぐ傍を流れる旭川水系の一級河川です。なのですが、この百間川、実は人口河川なんです!!
安土桃山時代に岡山城が築城された際、蛇行するように付け替えられ、河幅も狭くなってしまったことで、岡山城下は、たびたび洪水に見舞われるようになってしまったようです。
この百間川は、その災害を止めるために作られた、人口河川。今から360年程前、江戸時代初期の1654年に考案、1669年着工、1686年に完成した、旭川の治水のための放水路、人口河川です。
凄いですよね!!その当時、それだけの事業ができた、ということにも驚きですが(全く同時期、同じ人物が干拓事業も手掛けている)、それに手を加えるだけで、今も私達の生活を守ってくれている、ということに驚愕!この百間川の始まり、一の荒手を見ていると、先人には感謝の気持ちしか沸いてきません。
現在の岡山の形を作った、数々の土木工事のみならず、庶民の学校、手習所の建設、自主運営、災害時の人民救済など、信じられない量の政策を行った藩士をご紹介(岡山県人なのに知りませんでした!!)
現在の政治に物申す!!
上記の、津田永忠さん、の記録を知って、とにかく驚くしかなかったのですが、ほんの30年!!ほどの間にどれだけの事業をやったのか!
昨年氾濫した小田川の堤防工事、何年凍結されていたのでしょう?
これだけ洪水が起こっているのに・・・
人の命に関わる公共工事、やりましょうよ。道路も川も草だらけ。森になってきて、いずれ根で浸食されて、数十年前に作ったコンクリートの壁、壊れますよ・・・中の鉄骨もおそらく錆びてボロボロでしょう。
そして、年々大きくなる自然災害、降り続く雨に保たない地盤。買い叩き、下請け賃金低下による人手・技能不足、大企業からの値引き要請、技術者の高齢化・・・結局行き着くところは、手抜き工事からの災害。これ、人災じゃなくて、政治・企業災害だからね!!
会社とか見栄じゃなく、人にお金使おうよ。
福祉、環境、教育。
6割にも登る、貧困層がプチ贅沢できるようになったら、きっと経済上向くよ。
すみません、森と化していく国道沿いの風景を見ながら、いつも思っていること。言っちゃいました・・・
危機感を持つ!自己防衛する意識は絶対に必要!
えっと。大きく脱線してしまいましたが。
百間川では、旭川からの放水(なのかな?上流の旭川ダムの放流かも)が始まると、サイレンが鳴り響きます。昨年も夜8時頃から鳴り始めていました。
このサイレンが鳴ると、危険を回避しようとする気持ちが高まります。平成10年の台風時も夜中鳴り続けていたのですが、その時も翌朝、雨が上がった川に行ってみると、河川敷公園のサッカーゴールは遠く流され、仮設トイレは橋桁にかかり・・・そんな、それまで見たこともない風景が広がっていました。
今回の水害、岡山県では平成10年以来、初めての大きな水害です。
もしかして、今回の災害、危機管理意識は薄くなっていたのでしょうか?
残念ながら、意識の低下が被害を大きくした部分はあると思います。
家屋の損壊はどうしようも無いとしても、早めの避難で命が助かったかも・・・ということは否めないと考えています。
なぜなら。あの夜、私たちは寝ずに情報を得ようと、一つの部屋でテレビを付け、それぞれがSNSを見ていました。
河川ライブカメラで川の水位を確認したり、色々な人の呟きを拾っていました。
貴重な家具、楽器、米などを2階に上げ、被災した時に数日は生きれるよう、ペットボトルに水を貯めたりして、避難するなら猫達をどうするか、などの話し合いをしていました。
ですが、後で知人に聞いたところ、避難しようとした人が、誰もいなかったのです!!寝ていた、という人も多かったです。
会社内にも、床上浸水の被害に遭い、家族全員、ボートで救命された人がいました。小さなお子さんがいらっしゃいます。でも、寝ていたら、背中が冷たくなって目が覚めた!と言うのです!
いやいや。あの日避難勧告が出たのは、そんなに深夜じゃなかったし、夕方までに道路が封鎖されていたところもあった。なのになんで寝るの!?
こんなことを言っていると、被害に遭われた方に申し訳ない、それは重々承知です。
でも。家族の命、自分の命、守りましょうよ!翌日の仕事なんてどうでもいいじゃん!!
・・・小田川決壊も深夜12時前後、だったと思います。明け方ではありません。朝方3時くらいには雨は小康状態になりました。朝一番のニュースで水害を知り、背中が寒くなった方も多かったと思います。
情報収集は身を助ける!SNSは身軽で早い!
あの夜、テレビとネットニュース、それからSNS、それらを3人で並行して、情報を探していました。
県の防災サイト、メール配信で流れてくる各地域の避難勧告、河川の水位、それらを元にしながら河川ライブカメラで目視する。こういった細かい情報は、テレビではなかなか得られません。
7月5日深夜のライブカメラ映像がこちら。新幹線陸橋まで水位が迫っています。この土手を超えたら終わりです。
それから、SNSで語句検索をして得られる情報、これは早くて有益でした!!
先に揚げたアルミ工場の爆発、その振動が地震なのか何なのか、とにかく知りたくて検索をしていたところ、爆破音からほんの30分ほどで、その正体がわかったのです!
それは・・・総社市長さん、片岡市長さんのツイートでした。
素早く、正確に、すぐに届く形で情報を自ら発信する、市長さんが自分の名前で、自分の市の事を発信する、これは信憑性が非常に高い情報です!!
その情報を元に検索をかけると、徐々に火事の映像を見ることができました。これにより、地震の可能性は0に。総社市、小田川がヤバそう・・・ということも分かってきましたが。
また、ライブカメラの映像を元に、自身が避難するタイミングを計っていましたが、雨の状況、雨雲レーダーと付き合わせ、確実に安堵感を得ることもできました。
ちなみに。朝の3時までニュースを追いかけていたのですが、朝までに爆発のニュースは流れませんでした・・・一番早いのはやはり、SNS。現地で呟く、みなさんがくださる、生の情報です。
地球上の生き物の一員として、自然の中で謙虚に生きる
人間がどんなに知恵を持ったとしても、自然の力には決して叶わないと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?現代人は、謙虚に自然に向き合って・・・いないですよね・・・
私は小さい頃からアニメが好きで、世代的に子供時代は『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』を。少し大人になってからは『風の谷のナウシカ』『ぽんぽこ狸合戦』を描いたジブリ映画など、少し考えてしまう作品が特に好きです。
人間の奢りと、生き物として身勝手な振る舞い、それによって自然を壊し、何億年にも渡って築かれてきた絶妙なバランスを、ほんの数百年で変えてしまう行為。
結局はそこに生きる、人間を含む全ての生き物が苦しむのではないかと考えます。
手塚治虫さんの漫画、『火の鳥』なども強烈でしたね。仏陀の生涯を描いた『ブッダ』からも、同じようなメッセージを感じました。いつか、手塚治虫さんの作品は制覇したいですね。
無肥料・無農薬農業をかじってみて分かったこと、心の病と向き合って考えたこと。
いつか生まれてくる、孫のために、今を生きる子供達と自分のために。自分が出会う全ての人のが、この地球上で生きる生き物として、ただただ笑顔で、幸せな気持ちでいられますように・・・
平成30年7月西日本豪雨災害を振り返って・・・ 令和元年7月7日
農業も盛んな真備町産のもち麦をご紹介します♪