他の人と違う!?不適合者?
はみかみ屋で真っ直ぐな性分の長男・龍①。気難しい部分が見え隠れしてきたのは3歳のころ、穏やかな自然の中での暮らしが終わり、環境がガラリと変わった頃からでした。
環境への不適合の芽生え
私が働き始めると困ったことが起こりました。環境に馴染みにくいのです。
蒜山から岡山市内に転居した後、私は独身時代に所属していた職場に復帰、月に数日から仕事を始めました。
その間は私の母に預けていたのですが、とにかく懐かない。30分以上外で大声で泣いていたそうです。その時は単に祖母が嫌いなのかと思っていましたが、今思えば新しい環境に馴染むのが苦痛だったのか、相手の心を敏感に感じ取っていたのかもしれません。
こころの傷・友達との別れ
3歳になる4月、お友達と自然豊かな生活に別れを告げ、岡山市内に転居してきました。
新しい家、知らない人達、見たことのない景色。どこにも居ないそれまでの友達。
ずいぶん淋しかったのでしょう。引っ越したその日から、流①が蒜山のお友達の名前を口にすることはありませんでした。むしろ、私がその話をすると激しく怒るばかりで。
3歳の心は初めて経験した突然の別れにひどく傷付いたのだと思います。
家の外は敵ばかり!?
引っ越ししてから1年後、子供達は保育園に入園、社会へ第一歩を踏み出しました。その日から今に至るまで、龍①の苦難が始まるのです。
保育園へ通い始めて戸惑うことが沢山ありました。
①母ちゃんが僕を置いてどこか(仕事)に行く!
②一緒に来た弟もどこか(下の学年のクラス)に行く!
③知らないおばちゃん(担任保育士)が僕を呼ぶ!
④変な奴らがいっぱい居る!!
⑤皆と同じことするように言われる!
エトセトラ、エトセトラ
とにかく泣きました。来る日も来る日も。母ちゃんとバイバイするとき。始業してクラスの活動が始まっても廊下で泣いてました。
泣いて困ること、友達の輪に入れないこと、皆と同じ事をするべき時に違うことで遊んでいること、などの問題点を担任保育士から聞かされておりました。
この状態は長く続き、2ヶ月くらい?はこの状態が続いたように思います。
ごめんなさいが言えない
保育園生活に慣れてくるとおともだちとのやり取りも増えてきますよね。先生からの苦言で特に多かったのが、『ごめんなさいが言えません』ということ。
これは小学校に上がってからもそうだったのですが、些細なことや、自分が無意識でやってしまったこと(わざとやった事ではない、きっかけは相手、など)の事には決して謝らないのです。
この謝らない癖は今でも残っていて、長らく屁理屈だと思っていましたが、本人はいたって普通、他の人には理解しにくい理屈があって、いくら話し合いを持っても平行線のままです。
常識と非常識
このように、龍①の社会へのスタートは決して楽しいものではありませんでした。
他にもお昼寝をしない、という理由で押入れに入れられたりもしていたようです。今だったら大問題ですけどね(苦笑)
私自身としては没個性より個性だろうと思っていて、あまり気にも留めていなかったのですが、周りと違うことが受け入れられ難いということを失念しておりました。
何故個性的でいけないのでしょう?何故自分と違うものを受け入れないのか?悲しいことだと考えます。
対象が弱ければイジメ、強ければ遠くから接する。一番良いのは少しだけ自分より弱いこと・・・?
これは人間に限ったことではなく、猫社会(我が家は猫の多頭飼育)にも見られる現象です。だから生物の中では起こるべくことなのかもしれませんが。
でも。常識という名の弱肉強食の社会、これが社会的弱者の自立を阻んでいる大きな要因だと思っています。
そして、幼少期からこういった経験を積むことで先天的な要素だけではなく、社会的要素からも問題児は形成されるのではないか、と考えています。
子供と担任との相性について
こうしてあまり楽しくない保育園生活でしたが、楽しかった時期もありました。
簡単に言えば、担任の先生が優しかった時です。その一年は特別問題もなく過ごせたような、穏やかな記憶があります。
なかなか人と馴染むのが苦手な龍①でしたが、心を許せば人懐っこい性格。そこで裏切られるような思いをしなければ何のトラブルも起こしません。
とはいえ。そうはうまく行かないのが世の中。
小学校時代も龍①にとっては楽しくは無い事柄が沢山起こります。
長男・龍①の物語Ⅴ へ続く・・・