前回は、若気の至りで運命に呑まれるごとく結婚したところから、長男誕生までのことを書かせていただきました。今日はその続き、幼児期に現れはじめた『発達障害』的要素を中心に振り返ってみたいと思います。
【毎晩3時間おきの授乳】長男の成育/1歳まで
6月に誕生した長男は、ミルクを良くのみ、体重も順調に増え、スクスクと成長していきました。
ただ、若干神経質?初めての育児は戸惑うばかりで、比較することもできません。
身体の成長に関しては何の問題もありませんでしたが、神経質と感じることが時々ありました。
夜の授乳は1歳までは3時間おき。少しの物音でも目を覚まし、寝付きもあまり良くなく、よく泣くのです。6ヶ月頃からは夕暮れ泣きが激しく、鳴き声はまるで怪獣のよう、火がついたようにとはこのことです。
【新人ママのストレス】同居の嫁姑にお願い
別に泣くことはそれ程心配ではなかったものの、唯一憂鬱だったのが同居の義両親。泣くと私達の住居である離れの方に叫ぶのです。なに泣かしてる❗️と・・・
世の中のお姑・お舅さん、お願いです、手を貸さないのであれば見て見ぬ振りをしてあげてください。初めての子育てはいっぱいいっぱいです。夜も眠れないし心も体もギリギリなんですよ・・・
ちなみにワタクシ出産後3ヶ月目のある日、突然に母乳が止まりました。22歳と10ヶ月。それまで完全母乳だったのがある日突然ミルクになると・・そうです、赤ちゃんは受け付けないのです。
特に神経が繊細な長男、なかなかしんどいものがありましたよ。母乳育児ができなくなることで喜んでいた人達もいましたけどね〜Σ(-᷅_-᷄๑)💢
なんか、忘れていたことを思い出して、今更怒っています(笑)
【同居から単世帯へ】穏やかな新生活
まぁ、そんな怒りの日々はそう長くも続かず、『転勤』という理由の元、私達家族3人は岡山県最北部、蒜山高原へと転居致しました。長男10ヶ月の春です。
この頃の長男は人見知りも強く、しばらくの間は広い田舎の一戸建から狭いアパートへの変化にも慣れるのに時間がかかった気がします。
大事な友達のポチ(猫)とも離れ離れ。すぐに抱っこしておやつをくれるお婆ちゃんも居ない、日中はすぐに怒る母と2人の生活。寂しかったと思います。その頃の私には長男の気持ちを汲めるだけの余裕はなく、ただただ別居出来た事が嬉しかった記憶があります。
でも、蒜山高原という土地は大変自然豊かで穏やかな時間が流れる土地です。
住居となった地元の建設会社の寮であるアパートには同世代の子供達が6人もいて親子で友達もでき、朝10時からお昼まで、お昼寝終わった15時頃から17時まで毎日遊びました。役場のサイレンを時計がわり、大山にかかる雲を天気予報がわりにした穏やかで優しい生活でした。
あのままあの土地に暮らしていられたら、もしかしたら・・・なんて思ってみたり。
【発達障害の予兆?】 延々と繰り返されるイタズラ
蒜山高原に引っ越して、1歳のお誕生日を迎える頃でしょうか、もうちょっと成長していたでしょうか?長男の『日課』が始まります。
引き出しの中身は全部出します
タンスの1番下、靴下をいれてある引き出しを開けて、中身を全部放り投げるのです。片付けをしたらした回数だけ。
しかもタンスだけでなく本棚も。手の届く本棚上下2段、全部放り出すのです。読みたいのではなく、放り出す、ただそれだけ。
おもちゃ箱から欲しいおもちゃを探すときも全部ブチまける。片付けたら片付けただけ。
だんだんと夕方、お父さんが帰る直前までは片付けないようになりました。起きていて室内に居ると永遠に続くので・・・これが半年間続きました。
他の赤ちゃんより少し個性的なだけ?
私、知らなかったんです。他所の赤ちゃんはこんな事を全員するわけじゃない、って。だから気にも止めず『子育てってこんなもんよね』って思っていました。精神科にかかるようになる15歳までは。
当時は『発達障害』という障害があることははほとんど知られておらず、健常児と自閉症の間で診断されるものは何も無かったと思います。少なくとも小学校のうちは。
ですから、ただ言う事をきかない子、面倒くさい子、という認識だったのだと思います。特に頑固で愛想のない長男、この扱いは保育園・小学校・中学校の長きに渡り、その後の人生に大きく影響を受ける事となりました。
このあと10月に年子の男の子が誕生、もっとカオスな生活が始まることになります・・!!
このお話はまた次の機会に。長男とはまた違う意味で個性的な、次男の人生も始まります。